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寺泊 養泉寺

養泉寺は文禄3(1594)年、信濃国(長野県)水内郡長沼村の歓喜踊躍山浄興寺の僧浄明が開いたお寺です。宗派は真宗大谷派。山号は光澤山。「つやさん」と読みます。


by yosenji
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法中講(平成30年) レポート

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6月16日(土)。
法中講が勤まりました。
法中講は、法中(お寺さんのグループ)の御寺院方のお話を聞くことが出来る貴重な機会で、私も毎年楽しみにしています。
今年も例年の通り、笈ヶ島の願念寺さま、北野の浄善寺さま、片町の興琳寺さまの3ヶ寺の皆さんからお話をいただき、私や寺の家族も含め、皆で耳を傾けさせてもらったことです。

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願念寺さまは、先月半ばに前住職がお亡くなりになられました。
お通夜、葬儀とお参りさせてもらう中で、前住職の昔の姿が思い出されました。
うちの報恩講ともなれば、楽しそうにお酒を飲んでおられ、無理やり注ぎに行かされた時の、おじさんとお酒の臭いとが混ざった何とも言えない臭い、そしてその奥にある真っ赤な笑顔を今でもはっきりと覚えています。
今は娘さんが立派に住職としてお寺のことを色々としておられます。

そんな実の”父”との間の反抗期のお話から、病気になった後のお話、そして亡くなった時に気付かされたこと、さらにそれから1カ月が経った今の気持ち。
全てをせきららにまっすぐに語って下さいました。
お参りされた方全てが心を打たれたのではないでしょうか。
それほどストレートに気持ちが伝わってきました。

「私たちこうやって普通に生活していると当たり前のことですよね。当たり前のことなんですけれども、手を握ったら握り返してくれるということ、目が合うということ、話しかけたら返してくれるということ、何かこう私に対して反応してくれるということ、頭を撫でられるということ、一つ一つが有り難くて、嬉しくて、そんな最後の1カ月半でしたね。一つ一つがそんなに有り難いことだったんだって気付かせてもらって、一つ一つが嬉しいなという風に思わせてもらって、そしてまた、普段だったら言えないこと、お父さん、大好きだよという風にも言えたんですね。元気にしていたら絶対に言えないことですよね。お父さんの子どもに生まれてよかったよ。そんなことも言えたんですね。」

お父様が病気になった姿を”恥ずかしい”と思っていたことにも触れ、しかし生きる姿そのものを教えてくれていたんだということにも気づかれたとお話し下さいました。

最後に、それから1カ月経って、その感動もまた薄れてきていること。
人間ってこういう機会がないと大切なことも忘れていくんだなぁという実感も話されていました。

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浄善寺さまは養泉寺の法中でもあり、親戚でもあります。
何度も行き来がある関係性も手伝って、リラックスしたムードの中でお話されました。

今年の大雪のお話から、雪が降らないということを「当たり前」、雪が降るということを「異常だ」と感じてしまう私たちの姿に触れ、雪が降るということで気付かせられること、雪が降るからこそ生まれる喜びもあるのだということを話されました。
そこから、自分にとって都合がいいか悪いのかで何事をも判断してしまう人間の危うさ、そういった私たちの“角”を取ってくれる、言葉を変えれば、気付かせてくれるのがお寺であると教えていただきました。

「親鸞聖人の教えというのは、決して煩悩を無くせと言っているわけではない。あれが欲しいこれが欲しいというその気持ちを無くすのではなくて、あぁ、そういう自分なんだなぁと気付かされる。分かっていながら愚痴が出てしまう、人を責めてしまう。やっぱりそうだったんだねということを、仏さまの教えを聞く中で、そこに気が付いていくということなんですね。」

仏さまのお姿のお話、またお内仏の前での作法に関する”目からうろこ”のお話などもしていただきました。
経糸と緯糸を阿弥陀様の教えと私たちの姿に例えて、これからの歩みを改めて一緒に見つめ直そうと背中を押していただきました。

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最後は興琳寺さまのお話です。
ご自身の入院体験のお話から、その時の実感について話された後、”お蔭様”という言葉について改めて感銘を受けたとお話されていました。

「その時思ったのが”お蔭様”ということなんですよ。どなたかが使って、それからずっと、素晴らしい言葉だからこそ挨拶代わりにどなたでも使ったことがある言葉ですけれども、私も生きていく上で大事な言葉です。私がもし入院などしなかったなら、お世話になった方々のことなんかね、一つも考えないで死んでいくわけですよ。終ってしまう。たまたま入院したという一つの出来事があると、俺たちって色々な人に支えられていたな、っていうことを本当にしみじみ感じましてね。皆が”お蔭様”ということを感じながら生きることが出来たなら、世の中どれだけ良くなるだろうと思ったんですよ。それで、私はあとどれくらい生きられるか分からないけれども、この”お蔭様”っていうことをどうしても皆さんに伝えていきたいなぁとその時本当に心から思ったんですね。」

また、教えの話で出て来る”煩悩”という言葉について、私たちの生きる力になる言葉だと確かめられ、真宗という教えは煩悩抜きには受けとめがたい教えであると感じるということを告白して下さいました。

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お勝手は妻と母とが協力して準備を進めてくれました。
法中講は特に当番がないので、お参りの方々の協力をいただかなければ準備も難しいです。
そんなことを言わずとも、配膳や様々な手伝いをして下さった皆さんに感謝です。

法話の後、法中皆で出仕し、お正信偈のお勤め。
大きな声が本堂中に響きわたりました。

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男性も協力しお斎の会場準備です。
法中講のお斎は本堂でいただくことになっています。
五目寿司を中心に漬物やお味噌汁など、和気あいあいとしたお斎でした。

娘たちもこの後一緒にお斎をいただきました。
本堂で食べるお斎の味はいかがだったでしょうかね?

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寺方は別室にてお斎をいただきました。
五目寿司、空豆、わらびの油炒め、茄子の田楽、心太、刺身盛り合わせ。
さらに、お土産には鯛の塩焼きが付きます。

法務の話、皆さんの悩み、色々なお話を通して、法中同士の情報交換の場になりました。
ノンアルコールだったのが少し残念ですが(笑)

この日に初めてお参りされた方がこんな感想を仰っていました。
「こんなにお参りの人が少ないとは思ってなくてびっくりしました!」
しっかりと胸に刻まれました。

これから寺の行事もどんどん勤まっていきます。
来年の法中講もあっという間にやってくることでしょう。

「もっと違う感想が聞きたいなぁ。」
余った五目寿司を夕食にいただきながら思ったことでした。

by yosenji | 2018-06-19 11:00 | 養泉寺の雰囲気を知る | Comments(0)