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寺泊 養泉寺

養泉寺は文禄3(1594)年、信濃国(長野県)水内郡長沼村の歓喜踊躍山浄興寺の僧浄明が開いたお寺です。 宗派は真宗大谷派。山号は光澤山。「つやさん」と読みます。


by yosenji
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家族葬・墓じまい、大事な問題はそこではない

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4月25日(水)。
長岡市上除の淨圓寺さまを会場に、三条教区第11組の推進員総会・研修会が開催されました。
当日は雨にもかかわらず、多くの推進員の皆さん、また寺方の皆さんの出席をいただきました。
また、希望者で行ったその後の懇親会も大いに盛り上がりました。

私も第11組の同朋の会教導ということで、当日までの準備や書類作成、参加者の取りまとめなど行ってきました。
何かと不慣れで不手際もあり、会場寺院や推進員の皆さんにはご迷惑もおかけしましたが、同時に助けていただき、この会を無事に行うことが出来ました。
本当に感謝しています。

さて、当日は開会式の後、推進員総会ということで、第11組の推進員の活動報告や今後の計画について話し合いました。
その後は、第11組の取り組みである「報恩講カレンダー」について説明し、皆さんからのご意見やご感想も聞かせていただきました。

その後の研修会では、三条教区第18組 等運寺御住職の塚本智光先生よりお話をいただきました。
講題は、「弔いの形とこころ ~家族葬・墓じまい、大事な問題はそこではない~ 」でした。

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「家族葬」や「墓じまい」という言葉は、最近聞くことが増えましたし、実際に行われることも増えてきました。
講題を決定するやりとりをご講師とさせていただいたのですが、この講題を聞いた時、反射的に「大事な問題は何なんだろう?」という疑問が思い浮かびました。
「そこではない」のですから、大事な問題が他にあるのです。

結論から言えば、大事な問題とは形ではなくその中身。
葬儀とは本来何なのか、お墓とは一体何なのか。
そこがはっきりと明らかになっているかどうかこそが大事な問題である、ということでした。

私の周りでは、家族葬などとんでもない、きちんと家族、親戚を呼んで従来通りの通夜、葬儀を勤めるべきだ、というご住職もおられます。
また、墓じまいなど何て悲しいことだ、きちんと墓を守る人がいて、墓を維持し守っていかなければならないのだ、というご住職もおられます。

塚本先生は、「そうではない、そこは大事なことではない。つまり形の問題ではないのだ。」とはっきりと仰っていました。

「家族葬でもいいのだ。墓じまいが必要な時もあるのだ。そこに「訪い」があるかどうか、亡き人をご縁として私が仏法に出遇っていくかどうかが最大の問題である。」と強く提言して下さいました。

はっきり言って、私も全く同じ考えです。
でも、家族葬や墓じまいがあまりにも増えたら、それはそれで悲しいだろうなとも思いました。
塚本先生がお話して下さった「大事なこと」は大事だと分かっていつつも、実際に自分が大事にしていることとは何なのか…。
聞いていて「あぁ、そうだなぁ。」と思うと同時に、そうなっていない自分が恥ずかしくもありました。

推進員の皆さんは時折笑いながら、また時折真剣な顔をしながら、最後までお話に耳を傾けておられました。
本当に貴重なお話を聞かせていただきました。

閉式後は場所を移動して懇親会を行いました。
30名を超える参加をいただき、地域を越えた交流が出来ました。

迎えの車を待つ間、懇親会場の玄関で、同じく迎えを待つ推進員の方と少し話しました。
その内容まではっきりと思い出せませんが、一生懸命にやっていきたいということ、またお寺さんがもっと頑張らなければいけない、ということを言われました。

本当にその通りです。
一気に酔いが醒めた、ような気がした帰り道でした。

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by yosenji | 2018-04-28 16:01 | 養泉寺以外の行事レポート | Comments(0)