三条別院 子ども奉仕団(平成30年) レポート
2018年 04月 04日
子ども奉仕団の願いを見つめ直す
4月2日(月)~3日(火)。
1泊2日の日程で、三条別院を会場に「子ども奉仕団」が開催されました。
今回も約80名の子どもたちが参加してくれました。
私も例年のごとく参加させてもらい、班担、兼、1日目の夜のレクリエーションの企画担当として関わらせていただきました。
しかし今回は、それ以上に「一参加者」として子どもと一緒になって楽しく過ごす、ということ。
最も大切で最も忘れがちなことに思いを馳せながら参加しました。
子ども奉仕団の願い。
それは、三条別院に集い、親鸞聖人・お釈迦様のお誕生会を通して、共に同朋として生きてあることに気付く、ということです。
気付く、ということは、「既にそう」ということでしょう。
共に同朋として生きましょう、でなくて、共に同朋として生きてある。
それは今、事実としてそうであるということです。
同朋は、年齢も境遇も違うけれども、仏さまの教えを拠り所にして生きている仲間、とでも言いましょうか。
昨年の子ども奉仕団の時は、そんな感覚ははっきり言ってありませんでした。
自分は「大人」であり、「子どもに教える人」であり、子どもとは「別」の存在でした。
子ども奉仕団という尊い場にいながら、子ども奉仕団に参加してはいませんでした。
仲間が何人も目の前を通り過ぎていくのを見ているだけでした。
子どもの記憶力にはいつも脱帽させられます。
昨年の夏のつどいに参加した子どもが言っていました。
「夏のキャンプの時も私の班だったね」とか、「○○ちゃん今回も来てて嬉しいな」とか。
大人や、他の小学校から来ている友達のことをとてもよく覚えています。
「お友達を作ろう!」等と、大人が呼びかけるその前に、子どもたちはお友達として関わりを持とうとしているのだなぁと思います。
もちろんそういう関わりが苦手な子どももいますが、そういう子も含め、友達になりまとまっていこうとする姿が、今回はとても印象的でした。
そうなると、否応にも問われて来るのが自分自身の姿勢です。
最初にも書いた様に、私自身が子ども奉仕団の願いにどう向き合ってきたかということを考えると、どうなのかなぁと思わざるを得ません。
しかし、だからといって私が「ダメ」というわけではないと、子ども奉仕団が教えてくれます。
だからこそ何度も、忘れてはもう一度、この願いを鏡として自分を見つめ直していくことが大切だと思うのです。
私の奉仕団
初日は工作で、仏さまライトを作りました。
ペットボトルを使用した工作で、大人も楽しく出来ました。
夜のお寺探検は、所々で音も利用しながら、例年以上に怖いお寺探検となりました。
最後に出てきたお化けのクオリティーには分かっていても驚きましたし、子どもたちが腰を抜かす姿を初めて見ました(笑)
でもその後、お化けには皆出て来てもらい、正体を明かしました。
恐さの中にも、ホッとする安心感もある時間になったと思います。
食事は、炊き込みご飯や豚汁、夜食にはクラッカーやポタージュスープ。
サラダサンドにワンタンスープ、シチューオンライスまで、バラエティーに富んだメニュー。
子どもたちのアレルギーにもしっかりと対応した、美味しくて安全なメニューでした。
二日目の朝の法話は、佐々木憲雄さんから、誕生についてのお話がありました。
スティービーワンダーの「Isn't She Lovely?」を皆で聴き、その内容に触れながら、一人一人の誕生がとても尊いことであることを伝えて下さいました。
ウォークラリーでは一人一人が配られた紙を握りしめ、館内を隅々まで歩き尽くしました。
お昼ご飯のワンタンスープに入れるワンタン作りも行いました。
途中、灌仏でお釈迦様に甘茶をかけ、その誕生をお祝いしました。
別院の職員さんから丁寧にその意味を説明してもらい、子どもたちは皆聞き入っていました。
様々な人たちのお陰でこの子ども奉仕団は成り立っています。
近年は参加者が非常に多く、大人も子どもも合わせると100名を超える勢いです。
それを安全に、無事に終わらせるということは、正直、非常に大変なことです。
ともすれば、そうなればなるほど、「日程をこなすこと」や「早く終わらせること」等に重点が置かれ、単なる作業になり兼ねません。
これは私の中から確かに出て来ていた思いです。
その私にしがみつき、話し、あだ名をつけ、疲れさせてくれた子どもたちに感謝の思いでいっぱいです。
子ども奉仕団は、「子どもの奉仕団」「子どもが参加する奉仕団」だと思っていたけれど、「私の奉仕団」でした。
来年もまた楽しみにしたいと思います。
by yosenji
| 2018-04-04 21:00
| 養泉寺以外にも目を向ける