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寺泊 養泉寺

養泉寺は文禄3(1594)年、信濃国(長野県)水内郡長沼村の歓喜踊躍山浄興寺の僧浄明が開いたお寺です。宗派は真宗大谷派。山号は光澤山。「つやさん」と読みます。


by yosenji
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養泉寺 仏教講座 レポート

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6月3日(金)。
養泉寺仏教講座と称して、三条教区第11組特別伝道と兼ねた聞法会を行いました。
御講師には、三条教区第22組光濟寺御住職の安冨信哉師を迎え、「親鸞聖人とお念仏」という講題でお話をいただきました。

安冨信哉師は、私の大学院時代の指導教員でもあり、安冨先生と言った方が私にはしっくりきます。
かなり多忙な方なので、最初はこの教区事業に声をかけることを躊躇いもしましたが、先生に聞きたいという素直な気持ちを手紙に託して送りました。
そうしたら、「ぜひ寄せていただきたい」という思ってもみないお返事をいただき、それから何回か打合せを重ね、この日を迎えました。
当日は、かなり長い道のりをわざわざ電車の鈍行で来ていただき、恐縮でした。
でも、お話を聞く事が出来て感無量でした。

第11組の推進員の皆さんや養泉寺の御門徒さん、友人等にも声をかけ、それぞれ遠いのに来て下さいました。
そんな「同朋」についても含め、今回のお話の中で先生が、「御」の思想として話された一節が心に残りました。


<「御」の思想>

親鸞聖人は越後の人々との出会いを、“同朋の御なかに”と非常に尊称して仰っています。だから、同朋というものが、単なる仲間ではありません。自分にとっては「先生」になる。そんな位置付けですね。同朋というものに、親鸞聖人は“御”が付くんです。念仏にも“御”が付くんですね。「御念仏」ですね。(省略)念仏といっても、我々は簡単に「あぁ、念仏か」と考えますけれども、阿弥陀仏という仏さまが、私の中に現れて下さった仏さまである。そういうことで、魚も食べるし、他人の悪口も言う、という私の口から念仏が出て来る。これを非常に有り難いこととして受け止めた時に、“御”ということが出て来るんですね。親鸞聖人にとって念仏というのは“御念仏”なんだと、我が口から出て来るんだけれども、我が口の中から現れた仏さまなんですね。(省略)同朋も“御同朋”といいますね。尊いものとして尊称する。我々はどうも軽んじるところがありますけれども、やっぱり我々にとって仏さまは“御仏”でございます。本尊も“御本尊”でございます。“御”という字は非常に大切です。真宗というものは、いただくんですね。“御”とは“いただくもの”ということです。我々に仏さまから差し向けられていただくものなんですね。“御回向”といいます。「我々に御回向された」と。「振り向けられた」ということですね。我々に振り向けられた御念仏であり、我々に振り向けられた同朋である。真宗的な一つの受け止め方ですね。「いただく」という捉え方が本当に大切だと思うんです。こういう部分が親鸞聖人の教えの非常に大切な部分であると、私は思います。




とても根本的な、でも忘れがちなことを、教えていただいた気がします。

あの人は好き、この人はちょっと…。
そんな私の根性も浮き彫りにされた様な。
この日来て下さった皆さんは、「御同朋」だと思いつつも、自分で声をかけて集めたぐらいに思っていました。
でも、それは危ない考えだよ、いただいたものなんだよ、いただいた仲間なんだよ、ということを改めて私に問いかけられた様に聞こえました。

話の後半では、この❝御❞ということを❝恩❞と言い換え、恩徳の大切さということを語られました。
いつもはCDの曲番号を間違えないかだけを気にして空で歌っている「恩徳讃」ですが、この日は、先生のお話を受けて厳しく聞こえました。

今年度の第11組の特別伝道はこれで終わりです。
でも終わりは同時に始まりだと思います。
また来年も、「御同朋」の皆さんと一緒に尊い時間を過ごせるよう、第11組の同朋の会教導としての役割を果たしていきたいと思います。
この日一緒にお話を聞きに来て下さった皆さん、本当にありがとうございました。
また先生には本当にお忙しい中御足労いただき、本当に感謝しています。
ありがとうございました!!

by yosenji | 2016-06-11 17:02 | 養泉寺の雰囲気を知る | Comments(0)