初お講(平成30年) レポート
2018年 01月 31日
初お講を迎えて
「あなたにとってお寺とはどういうものですか?」
もしもそんなふうに尋ねられたらどう答えるでしょうか?
私は、生まれも育ちもお寺です。
だから、完全にお寺から離れた感覚になることは出来ません。
それでも、そうだったと仮定して考えた時、「大切な場所です」と答させられるようなお寺。
養泉寺を、そしてご縁のある地域や親戚のお寺を、その様な大切な場所にしていきたいと思っています。
具体的に何をどうすればいいのかはまだまだ手探りです。
根本的にそんな問題じゃないのかも知れません。
それでも、そんな工夫や試行錯誤がとても楽しく、今の私にとってはこの上ないやりがいになっています。
変えないこと
1月28日(日)。
養泉寺の初お講が勤まりました。
初お講は、1月28日と決まっています。
ところがこの一週間、新潟県は大変な寒波に見舞われました。
ここ寺泊も例外に漏れず、大雪に加え、浜ならではの大風で、外出すらままならない日が続きました。
「雪が降る」といえば当然、上から下でしょう。
白くて大きな空から、はらはらと舞ってくる様子が思い浮かぶかも知れません。
しかしこの一週間は違いました。
下から上なのです。
積もりに積もった大地の雪を、寒波が吹き上げながら通り過ぎていくのです。
一度車に乗れば、国道を選んでも、農道を走っても、ホワイトアウト。
視界は真っ白で、安全のため止まらざるを得ないのです。
「こりゃあ初お講まで続くんじゃないか…」
「お参りどころじゃないかも知れない…」
繰り返し雪かきをし、びしょびしょになったシャツを洗濯機に放り込みながら、ため息をつく毎日でした。
それでも準備はしなければなりません。
当日のお勤めは?
法話は?
お斎は?
新年会は?
一つ一つ家族で意見交換しながら準備を進めます。
写真は初お講当日、法話中の大広間の様子です。
皆さんのいない所で、着々と準備が進んでいきます。
それによって、スムーズにお斎へとご案内することが出来るのです。
お斎については家族でも毎回話し合っています。
初お講ではお刺身を外注するのですが、天候の影響、また当日が日曜日ということで、お参りの方が増えるのか、かえって減るのか。
その注文数で悩んだのです。
悩んだ結果、例年と同じだけ注文しました。
そして当日は、皆さんに美味しく食べていただけました。
過不足なく、皆さんに行きわたってホッとしました。
会場の設えについては、住職と意見を交換しながら進めました。
住職も私も、共通の考えとして、初お講は極力「変えないこと」を大切にしています。
つまり、「変えなくていい部分はあまり変えずに、安心感を持ってもらえるような時間と空間にしたい」という思いがあるのです。
養泉寺には、テーブルと椅子がありますが、初お講では全てしまいます。
そして昔ながらの長テーブルと座布団を出し、足腰の悪い方にだけ椅子を利用してもらう様にしています。
DVDにして残してある、約30年前の初お講のビデオ映像。
メンバーのほとんどが亡くなっているということ以外、変わっている部分はほぼありません。
皆さんで一緒にお正信偈をお勤めした後、当院の法話、そいて住職の法話。
それぞれ30分ずつ時間をいただいて話しました。
<当院法話(概略)>
養泉寺では、1月の初お講、6月~8月のお講、10月の報恩講、11月のおあさじ会、という日程で28日のお講が勤まります。
その他の月も内々で勤めていますが、これらの月は御門徒さんに案内し、お斎も手作りでつきます。
お寺の行事というと、お盆やお彼岸などがすぐに思いつくかも知れません。
しかし、養泉寺が浄土真宗のお寺であるのは、この28日のお講を勤めているからです。
28日講がお寺の生命線。
お参りの人数の多少ではなく、お講を勤めることで浄土真宗のお寺であるといえるのです。
お講の目的は自分のいのちを見つめ直すこと。
そして、その不思議さと有難さに頷き、お念仏をいただき直すことだと聞いています。
例えば涙を流す、腹を立てる、排泄をする。
自分の体に起こることのほんの一例ですが、どれも自分の思いで自由に出来ません。
ふとした時に涙は流れ、ご縁によって腹は立ち、ほっといていても排泄物は外に出ようとしてくれます。
私よりも大きな「いのち」によって生かされていることを感じずにはおれません。
私の思いを超えて存在しているこの「いのち」を、思い通りにしようとすることを「苦」といいます。
生かされているこのいのちを、自分の思い通りにしていこうとする私。
いただきものであるはずのいのちが、私の「もの」になってしまってはいないでしょうか?
じゃあ「ダメ」ではなくて、だからこそ聞くのだと思います。
過去帳を見て年忌を繰り出しながら、誰もが会ったこともないけれど、皆生まれて生きて、そして亡くなっていったんだなぁということを感じました。
同じ人間として、人生に悩み苦しみながら、生きていった先輩たちであると感じた時、「その命、大切に生きなさいね」という呼びかけに感じたのです。
「聞きなさいね」というはたらきはいろんなところに転がっていると感じます。
大切なことは、それを逃さない心を育ててもらうことだと思います。
お寺は人生の「行き先」ばかりを気にかけては、善し悪しや損得にばかりに振り回されている私たちに共通する「帰る場所(家)」だと思います。
「私なんかがお寺に行っていいんですか?」と聞かれることがありますが、誰もが行っていい場所でなければお寺じゃないのです。
どうぞ安心していつでもいらして下さい。
<住職法話(概略)>
昨年は非常に印象的な一年でした。
私の両親(老僧、前坊守)の様子が変わり、一緒に過ごすことが多くなる中で様々なことを考えさせられました。
12月25日から老僧は体調を崩して入院しています。
発端は定期受診の際、立ち上がれず歩けなくなり、息遣いもかなり荒く、医師の判断ですぐに救急搬送されました。
血痰も見られ、心不全に気管支炎。
一時は「もうこのまま〝だめ”なのではないか…」と正直思いました。
それでも病院の献身的な医療処置や老僧本人の親からいただいた丈夫な身体のお陰で、生きる方へと傾きました。
今は状態も安定し、転院先の目途もついた段階にまで来ました。
前坊守は12月28日から、グループホームでお世話になっています。
昨年の初めから〝もの忘れ”が多くなっていきました。
専門機関や専門家の方と相談を重ね、本人の同意のもと、そういった生活に移行することになりました。
一年間、今まではあまり見ることのなかったこの二人のやりとりを見ていて、「お互いの気持ちが分かるなぁ」と感じました。
頭はしっかりしているが体の効かぬ老僧と、体はしっかりしているがもの忘れを繰り返す前坊守。
お互いがお互いに「どうして分かってくれないのか」と言葉を尽くして言い合う姿を見てきました。
ある御門徒さんが、介護を必要とする実の父親に向かって「お前がいるから俺はこんなに大変なんだ!」と怒鳴っていました。
「そんなこと言わなくても…」「もっと優しい言葉を掛ければ…」と思いましたが、その息子さんの気持ちも分かるのです。
自分にも、この私にもそういう根性があることが、老僧や前坊守を通して痛感させられます。
毎日のように電話が来て、それぞれの医者や用事がある時はその都度運転手。
必要となれば夜中でもお構いなく呼び出され、それぞれの愚痴にも付き合わされます。
「若いもんに迷惑かけるなぁ…」と老僧は申し訳なさそうに言います。
「迷惑なんかじゃないよ。いつでも用事があれば言ってくれ!」と上辺では言っています。
でも心の中では、「お前がいるから…」と叫んだその御門徒さんと同じ心があるのです。
言っていることと思っていることとが違うのです。
この私の姿と向き合っていくことが、今年の私のテーマです。
さて、この日のお勝手には、グループホームから一時帰宅させてもらった祖母も加わってくれました。
久々の寺でしたが、私の心配をよそにいつも通り頑張ってくれていました。
何十年と人生を過ごしてきた場所だもの。
記憶でも記録でもない部分に、染みついているのかなぁと思いました。
来てくれて本当に有り難かったです。
これでいい、これがいい
養泉寺の初お講ではお酒が出ます。
これも、30年前の映像から変わっていないところです。
世話方さんの乾杯の音頭で新年会はスタートです。
冷蔵庫に入れなくても冷え切った缶ビール。
慣れた手つきで長テーブルに置かれていく熱燗。
「お茶やジュースもありますよ」
皆さんの楽しそうなお顔や声。
娘と一緒に注ぎに回り、その都度照れて私の後ろに隠れる娘。
自分がさせられて嫌だったことなのに、いつの間にか子供にさせている私。
大正琴の演奏に合わせて、ゆっくりと合わない手拍子。
私や妻の世代では、メロディーは知ってるけれど歌詞が出て来ない唄。
それがまたいい。
カレンダーの裏を使ったくじ引きが回る。
近くの商店で買った景品が、その商店のお婆ちゃんに当たって大笑い。
毎年お馴染みの「北朝鮮芸」(笑)
でたらめ朝鮮語に紹介されて、平昌オリンピックに欠かせないメンバーたちが集合。
お面姿に泣きだす次女。
とっても楽しい一時。
最後は皆で万歳三唱。
のど自慢たちのカラオケも。
カラオケマイクは毎年ある方からのレンタル。
変わらない道具で自分の歌に酔い知れる。
いつも参加して下さっていたその方は、今年は認知症の集まりのためいなかった。
そこが変わったとこ。
報恩講に続き、〝ひょっとこ”のお面を被って「おてもやん」を踊る娘。
その度胸には、親ながら驚いている。
でもこの日は手拍子が大きくて。
慣れない人の顔も多くて。
最後には泣き出してしまった。
すぐに抱っこすると、顔を真っ赤にして「もうやらない」って。
「恥ずかしい」って、震えていた。
面白がって無理させて悪かったね。
また一つ、大人になったね。
親だから知っているつもり。
逃げ出したいくらい恥ずかしかったこと。
それでも頑張ってやりきったこと。
自分の子どもをあまり自慢はしないけれど、娘は本当に大したもんだ。
心から誇りに思う。
ある方がはまっているということで、持って来てくれたグランドゴルフ。
ルール説明の後、数人で体験。
強すぎたり弱すぎたり、一打ごとに上がる歓声。
参加賞はホッカイロ。
「実は私もやってるんです」
ある方の意外な告白に驚き、長い講釈に苦笑い(笑)
最後にもう一曲。
大正琴に合わせて歌った後、中締めで一旦終了。
皆さんの工夫と努力と場を作る力には脱帽。
お土産のワンカップとお菓子。
皆さんが帰った後、「鍵を落としたかも」と電話がくる。
長テーブルの下を覗き込んだり家の中を歩き回ったり。
毎年ある様な光景。
でも一回しかない光景。
人生は思っている以上に一期一会だと感じる。
これでいい。
これがいい。
お斎を囲んで語るひととき
皆さんが大体帰られた頃、お勝手の皆さんと寺の家族でお斎を囲む。
今日のお斎は忘れかけたお正月に引き戻されるかの様なスペシャルメニュー。
・刺身盛り合わせ
・のっぺ
・ハムマリネ
・紅白かまぼこ
・玉子焼き
・ほうれん草のおひたし
・黒豆
・みかん
・豆腐と葱の味噌汁
・ご飯
大皿として、味噌田楽、漬け物盛り合わせも。
お腹一杯いただきました!!
もちろんビールも。
お勝手の皆さん、本当にご苦労様でした。
〝ずれ”って大切なことなんじゃないだろうか?
普段生活をしていて、時折「お寺って必要とされているんだろうか?」と感じ、空しくなることがあります。
自分が思っている「必要とされる」ということと、何かがずれていると感じることがあります。
いや、ずれているのは私の方なのかも知れません。
しかし、それを一致させることは出来ないことではないかと最近は思います。
「お寺は死んだ時にお世話になるところ」というイメージを払拭したいという思いもあります。
でも実際、「死んだ時にお世話になるところ」でもあることは確かです。
イメージは実際の状況そのものでもあります。
でもそれだけではない魅力も知っているつもりです。
住職の法話の様に、私も両方の気持ちが分かるのです。
その〝ずれ”を感じられるということが、実は大切なことなんじゃないだろうか?
「濃く入れ過ぎた!」という妻のコーヒーをお勝手の皆さんと一緒に飲んだ後、片付けながらそんなことを思いました。
外はまた雪です。
娘は「咲雪の〝雪”がまた降った~!」と嬉しそうです。
by yosenji
| 2018-01-31 22:00
| 行事レポート(養泉寺)